続き
 芦ノ湖で油断してたっぷり昼飯を食べて水をがぶがぶ飲んでしまったので、予想していなかった上り坂は大変こたえました。「食べた後すぐ寝ると牛になる」といういましめはうそです。食べたら休むのがベストです。やっとの思いで箱根最高到達点、確か看板には「国道一号最高到達点」というように書いてあったような?気がします。詳しくは来年の箱根駅伝を見てください。「あー、ここが木藤が通過したところなんだー」と感動してください。そしてここからが本当の極楽「小田原への下り」です。今までの苦労がうそのように加速していきます。あっという間にいろんな箱根の温泉街を通過していきました。なかでも圧巻は「冨士やホテル」です。千と千尋ででてきた「ゆばーば」のお店のようでした。いつかは泊まってみたいものです。このあたりは若い外国人の人が多く観光していました。みんな首からカメラをぶら下げていました。一昔前の海外での日本人のように。久しぶりに交差点がありました。信号はありませんでしたが左ばかり気にしたいたら右から来た車にぶつかりそうになりました。三島側の坂よりこちらのほうが急でした。そして道幅も狭くて交通量も多いです。途中左側に道路から分岐して上りになっている変な構造物を見つけました。この瞬間封印されていた記憶がよみがえってきました。それは8年ほど前に箱根を訪れたとき確かバスガイドさんが「この坂は車のブレーキが故障したとき車を安全に停車させるためにこの上り坂を利用して止めさせる建築物です」などと説明してくれたように記憶しています。この坂が使われて助かったかどうかのお話は聞いたような聞いてないような感じですが、どなたか知っている方は教えてください。
 

小田原に入るとトラックも多くなり細い道で追い越し禁止なので自転車は非常に危険でした。しかし市街地に近づくにつれ歩道も現れたので少し周りを見ながら走ることができました。今日は曇りでしたが暑くも寒くもなく順調に(?)小田原まで着きました。小田原到着がまだ2時30分だったので小田原城を見に行きました。周りは公園になっていて小さな動物園もあってなんと無料でした。ちゃんと象もいました。天守閣は確か有料だったように思います。民族資料館もただでした。その建物もちょうどいい具合に古びていてまさに古きよき小田原の民族資料館でした。
そこから宿までは近くで、まづ宿に向かいました。小さなビジネス旅館をインターネットで調べて予約を入れておきましたがわりと小奇麗なところでした。早速小田原の町を探訪しに行きました。感想は意外に大きな町だと思いました。「小田原探訪記」は次回にします。
 
 今回からついに貧乏旅行初めて、友達にお世話になることになりました。文章中に登場するので簡単に説明いたします
 
一郎君、高校の友人で現在川崎にいます。
上さん、大学の友人で「かみさん」と発音します。自称「江戸っ子」です。
 
 小田原に着くと、まず街の様子を探りに行きました。私には初めての街を調べるときひとつの法則があります。それは、左手に繁華街、右手に住宅地となっている道を見つけて、反時計回りに進みます。するとだいたいもとの場所に戻ってきます。次に今1周した時に見つけた大きな道を進みます。2,3本あればそこも全部探検します。繁華街ですから見てても飽きません。これでだいたいの街の様子がわかります。次にじっくり見てみたい場所に戻ります。この方法は地方の中小都市に適用される法則です。大都市では繁華街と住宅地の境目がなかなかわからないのと、そもそもでかいと街を1周することができません。今回は自転車を使ったので手っ取り早く周れました。小田原の感想は「意外に大きく、駅を中心とした繁華街はいろんな店が集中していて見ていて飽きない街」でした。そこにすんでいるとすぐ飽きてしまうのかもしれませんが、初めて行って探検するには面白いところでした。浜松より確実に街に人が集まる魅力があります。観光都市でもあるのでお土産やさんも充実していました。早速明日お世話になる一郎君へのお土産探しに出ました。かまぼこが良いなと思いましたが、お店の人に日持ちしないから小田原のもうひとつの名物である梅干を進められました。立派な梅干だったのでそれにして、お店の人に晩御飯を食べるために「ここの近くで美味しいお店はないか」聞いて見ました。近くのおすし屋さんを進められたのでそこに行ってみました。
 

まだ6時少し前だったのですいていました。カキや白子を注文してしまったので酒が進みました。やっと次のお客さんがちらほら入ってきたので店の中が元気になってきました。そのうちの一人の方が「お祭りが始まるけど雨が降ってきた」といっていたのでお祭りについてお店の人に聞いてみました。7時過ぎから街の中を笛や太鼓を吹きながら踊りをして行列するお祭りだそうです。7時過ぎにお店を出て見に行ってみましたが急に雨がひどくなってしまったので宿へ戻りました。着物を着た旅姿の女性が何人もいて踊っていましたが残念でした。宿に帰って「K1]をテレビで見ていたら一郎君から電話がありました。一応一郎君の奥さんはうなぎが嫌いということは知っていたので嫌いなものを再確認してみたら「うなぎとうめぼし」といわれたのであさってお世話になる上さんへのお土産に変更しました(確認しておいてよかった)明日もあるので早々に寝ます。外は雨です。カッパを出して寝ました。

 小田原の夜は雨でした。カッパを出して寝ました。朝になっても雨は降っていました。チェックインのとき「朝はパンとコーヒーの簡単な朝食がありますのでよかったらどうぞ」といわれたので行ってみましたがスクランブルエッグやソーセージもあって立派でした。過大広告ならぬ過少広告でした。外国人の2人ずれや、一人旅のような若者や、中年夫婦の人たちがいました。外を眺めてみると先ほどまで降っていた雨がやんでいました。朝から食べ過ぎると動けなくなるので腹六分目にしておきました。チェックアウトして自転車置き場に行ってみると自転車はべしょべしょでしたが雨はやんでいました。そのまま、自転車にまたがり小田原城を横目に国1を目指しました。国1をひたすら日本橋目指して走りました。雨もやんで天気は快方に向かっていました。しばらくは東海道線と海岸線の間を国1が走っていますので、左手に電車右手に海を見ながら走りました。するとあの「芸能人水泳大会」で有名な大磯ロングビーチがありました。感動しました。あの、にしきのあきらや、西條秀樹がいたあの大磯ロングビーチです。一部の男性諸君はオッパイポロリンを期待していたあの大磯ロングビーチです。と、一人で興奮しているうちに通り過ぎてしまいました。松並木があるきれいなところでした。

 
平塚が近づいてきました。町並みも少し都会の様相です。道路も広くなり歩道も立派です。箱根駅伝の平塚中継地点です。今度の駅伝を100倍楽しむためにあたりの景色を目に焼き付けておきました。次第に茅ヶ崎、藤沢など聞きなれた地名が増えてきました。聞きなれていても訪れるのは初めてだと思います。このあたりではすでに太陽が厳しくなり熱くなってきました。早く日本橋に近づきたいので車道を走ることにしました。この選択が今回の旅で最悪にして最大のピンチとなることはまだ知る由もありませんでした。

 車道を走ることにきめて調子よく走っていると新湘南バイパスの藤沢インターチェンジにぶつかりました。左折すると自動車道に入ってしまうので仕方なく右折しました。この時点で歩道がなくなったので歩道のあるところまで引き返して旧国1を探せばよかったものを先を急ぐあまり自動車とともに右折してしまいました。この道は
バイパスから出たところでしたので走っている車も時速80キロ近くスピードを出していておまけに歩道がないのでちょっと止まって一休みなんてできる状態ではありませんでした。

 要するに自転車では走っていけない道路に入ってしまったようでした。このまま何キロ行けば歩道が出てくるのか?もしかして、このまま別の高速道路にはいってしまうのか?パトカーが来たら捕まってしまうのか?転んだら死んでしまうのか?生きた心地がしないままひたすら走りました。何キロ走ったことでしょうやっと歩道がありました。ガソリンスタンドやマンションがありほとしたのもつかの間また同じように歩道がなくなりました。でもなぜだかまたそのまま進んでしまいました。後悔しながらも「あの歩道はなんだったんだろう?」と今でも不思議です。長さにして300メートルほどでした。また車に脅かされながら馬車馬のごとく走りました。時間にして10分ぐらいでしょうか、走ったところで歩道がありました。今度歩道が途切れたらぜったい別の道を探そうと心に決めました。案の定2,3キロ行くと歩道がなくなりました。そこでどうなったかというと左手の何の変哲もないアパートの裏庭につながる道?がありました。仕方なくそこに入っていくと休日の静かな朝を迎えているアパートの人たちがいました。開いた窓からテレビの音が聞こえてきたり洗濯機のまわる音などが聞こえてきました。下は砂利道だったので自分の足音が気になるぐらいでした。
この穏やかな雰囲気と道に迷った自分のあせりのギャップはすごいです。反対側のアパートにしてみれば正面側の道に出ました。細い道で坂道でした。坂を下ることにしました。住宅街の細い道を進んでいくとやっと片道一車線の道に出ました。磁石で確認して一応東京方面を目指しました。程なく大きな踏切に出ました。近くの人に聞いてみたら「戸塚」というところでした。地図で調べてみました。横浜までもう少しでした。だんだん都会になってきました。保土ヶ谷に親戚がありますがまったくどこにあるのかわからないまま突然横浜に着きました。駅前は工事中でごたごたしていました。
 
 横浜の駅前はなんだか工事中で通路が狭くなっていました。危ないので自転車を押して歩きました。地べたは鉄板だったのでビンディング付のシューズで歩くとものすごい音が響いて恥ずかしいぐらいでした。やっと人ごみを抜けるとむしょうに「坦々麺」が食べたくなりました。そーいえば昨日の朝3歳の息子を朝保育園に送っていくとき「早く靴を履きなさい」と言うと「いやなこっ(た)坦々麺」と言ったときにはびっくりしました。さて、本題に戻るとなかなか坦々麺が食べれそうなお店は見つかりませんでした。そーいうときにかぎってかたくなに坦々麺が食べたいものです。妥協は許されませんでした。以前デニーズに入ったとき「ファミレスで坦々麺食うやついるのかー?」とメニューを見たとき思いましたがまさか自分がデニーズで坦々麺のおせわになるとは、、、、。鶴見にある国1店と言うデニーズに入って、まさにファミリーに囲まれながらテーブル席で一人寂しく坦々麺をすすってきました。さて、そこで地図を確認すると多摩川大橋までもうすこしでした。この橋は今夜お世話になる川崎のイチロー君と今年のゴールデンウィークに自転車で一度通りました。その向こうはいよいよ江戸です。早速自転車に乗って先を目指しました。江戸に近づくにつれ気分が高揚してきたのかなかなか周りの景色を楽しむ余裕がなくなってきました。少しでも早くつきたい一心でした。ゴールデンウィークに下見したときの記憶にある景色が始まりました。いよいよ多摩川大橋が見えてきました。橋の手前でイチロー君に電話しました。そして橋を渡ろうとすると反対から自転車に乗った集団が迫ってきたので道を譲るためにふちによりました。20人ぐらいの集団でしたが全員が声に出してお礼を言ってくれました。さすが「自転車野郎」たちでした。
江戸はつづく、、、、
 
多摩川を越えると江戸でしたが実感はありませんでした。年齢もいよいよ大台の「30代」「40代」と言われても別になんてことはないと思うように橋を越えたぐらいではたいした変化はありませんでした。蒲田、大森と言う地名で何とか江戸に来たという感じでした。予定では1時に江戸に入ったので3時にはお江戸日本橋に着く予定です。「品川に着いたら電話をくれ」と上さんに言われていたので電話しましたがなかなつながりまでした。そうこうしているうちになんと「江戸たわー」(東京タワーともいう)がいきなり見えてきました。ビルの谷間を走行していたので近くに来てはじめて気づきました。時間に余裕があったのと上さんにまだ連絡が取れなかったので時間調整のために国会議事堂を見学することにしました。何度か東京の街を歩いたことがありましたが今日は妙に警官が多くいました。解散総選挙の開始日だったので政治的に重要な行事はないと思いましたが職務質問されることなく国会議事堂の前まで来ました。先日の落雷で屋根が壊れていました。修理の最中でした。どこかの交差点で鉄板に囲まれた電話ボックスのようなところに警官が一人入って何かを警戒していました。その緊張感と周りを行く人々の普通の姿のギャップがおかしいぐらいでした。そうこうしているうちに「お江戸日本橋」に到着しました。別に俺のために到着の式典があるわけでもないので周りはいたって普通でした。日本橋に着いて写真を撮りましたがこれもまた消えてしまいました。やっと上さんに連絡がついたので近くまで迎えに来てもらいました。自転車をたたんで買ったばかりの新車に乗せてもらいました。これで日本橋までのノルマは達成しましたが「貧乏旅行の最終報告」であるただ酒ただ飯をご馳走になりさらに手土産をいただいて、いたれりつくせりもてなしていただいた報告を次回いたします。
 
 いよいよ最終回になってしまいました。残念な限りです。さて上さんに迎えに来てもらい最近生まれたベビーちゃんを拝見しに行きました。奥さんは「日本全国貧乏旅行」の法則にのっとり昼真っからビールを用意してくださり、明るいうちからお風呂にも入れていただき、ビールがなくなると乳飲み子がいるのに酒屋まで走って買ってきてくれました。ありがとうございました。この後、川崎のイチローさんの所に行かなければならないのでそうそうにおいとまいたしました。電車で川崎に行きました。川崎ではイチロー君が迎えに来てくれました。歩いてすぐなのにわざわざ自動車で迎えに来てくれました。早速、近くの居酒屋へ案内してくれました。この自転車のたびを肴にまだそのときは作動していたデジカメを見せながら熱く語りました。家に帰っても深夜まで話が止まりませんでした。布団に入ったらあっという間に意識がなくなり、あっという間に朝が来ました。

 
奥さんが朝ごはんを作ってくださり美味しくいただきました。ありがとうございました。その後イチロー君とママチャリにのって川崎大師まで行き羽田空港まで行ってしまいました。その後川崎重工業地帯を自転車でくまなく走り産業道路でトラックと併走して光化学スモッグをたっぷり味わってきました。数日前に殺人事件があったお店を案内してもらったりいたれりつくせり川崎を満喫させていただきありがとうございました。その日も4時間ぐらい自転車に乗ってしまいました。1時に再び上さんに会う予定があったので一郎君とともに東京を目指しました。もちろん電車で。

 東京に着くと雨でした。一郎君はUターンして、上さんとともに2年前に開業したばかりなのにもう店内改装をしてしまった先生の病院を見学しに行きました。その途中生ラモスと会ってしまいました。その後記録的な豪雨が東京を襲いました。昼間なのに真っ暗になるほろでした。しばらくして天気も回復し、新幹線に乗る前に皇居の見えるすばらしいホテルで野郎2人でお茶をしました。のどが渇いたので車を運転しなければならない上さんの前で一人ビールをぐびぐび飲んでしまいました。まるでいじめでしたがその後すぐ仕返しをされてしまいました。会計のとき急に上さんが「おっ!財布忘れた」ときつい一言をお見舞いしてくれました。来年からはお題をかえなければなりません。
「日本全国お恵み世直し自転車旅行」と改名いたします。今回の貧乏旅行ではまるで私が行くと「貧乏神が来る」ように思われていたので、来年からは日本全国の貧しそうな友人の家を巡りお土産を持参して晩御飯をご馳走して帰るときはチリひとつ残さず次の貧しい友人のところへ行くという企画です。来年は日本橋を基点に4号線か6号線を北上します。その沿線でわれこそは「貧しき友人」と思われる方は自薦他薦を問いません、ぜひ連絡してください。長くなりましたがこれで「2003年日本全国貧乏旅行」の報告を終了したいと思います。これもひとえに苦情ひとつなく最後まで聞いてくださいました皆様と貧乏神をもてなしてくださいました友人とその奥様のおかげと感謝いたしております。来年からは「福の神」となりまして再び旅に出ますので、特に北関東の皆様よろしくお願いいたします。では、よいお年を。
きとう
 
 

唯一残っている映像
左は子供に買ったキーホルダー
右は自分に買った木工細工の貯金箱