2003年 御前崎〜東京日本橋

2003年10月に始めた自転車の旅はデジカメが壊れてしまいなんと映像の記録なしの寂しい結末になってしまいました。そこで当時皆さんに送ったメールを掲載して記録とさせていただきたいと思います。

 さて2003年「日本全国自転車貧乏旅行」が始まりました。今回から慣れないキーボードで打ったせっかくの文章を多くの人に送りつけてやろうと年賀状にアドレスが書いてある人にも送ることにしました。突然のメールお許しください「不幸の手紙」ならぬ「不幸のメール」だと思って我慢してください。来年の年賀状からメールアドレスのところを塗りつぶして出す嫌がらせだけはしないでください。「日本全国貧乏自転車旅行」と言う企画を企てその報告をかってに送りつける一種の迷惑メールです。この旅行は日本全国の友人の家を自転車で回り、ただ酒ただ飯をご馳走になりさらに泊めてもらって帰りにはお土産をもらってくると言う全く迷惑な企画です。2000年から始まったこの旅はただいま四日市〜御前崎まで行きました。今年中に江戸日本橋を目指します。その前半戦として先日10月5日御前崎〜新富士を走ってきました。その報告です。

朝5時40分起床パンと牛乳で朝食をすませ6時家から車で御前崎に出発進行.7時15分到着、すぐ出発です。奥さんはそのままユーターンです。天気 くもり 快適な旅立ちでした当面の目標は12時に清水あたりで昼食です。最初は海沿いでしたので向かい風がきになりました。そのうち左右に家が立ち並び始めたので風はおさまりました。8時15分最初の休憩です。ちょうどマックがあったのでそこで地図を見ながらコーヒーを飲みました。しかしマックに入る時ここはどこか地名をチェックしなかったので地図を見てもここがどこだか見当がつきませんでした。意味ない。そして8時30分出発。すぐにカインズホームというホームセンターの看板がありました。そこまで7キロと書いてあったので時速を計算しようと思い7キロ何分かかるか計り始めました。途中で道が2つに分かれていて自分の行く方向は左、カインズホームは右で、これまた意味がない。がっかりしてるうちに焼津市内に入りました。10時です。この調子だと11時ごろ清水に着きそうです。朝はパンと牛乳だったのでむしょうにはらが減ってきました。前日奥さんが「やっぱり運動中はバナナがいい」と腐りかけたバナナを無理やりもって行けといってたので、コンビニでカフェオレを買ってバナナと一緒にのみました。この2つは普段ほとんど口にすることがない取り合わせでしたがこんなにうまいと思ったことがないほどうまかったです。美味いまずいは相対的なものであると悟りました。きっと幸せ不幸せも相対的なものでしょう。日ごろから美味いものばかり食べているとそのうち美味いものに感動する機会が減ってきます。なるべく質素に生活しましょう。
さて次回は静岡の大崩海岸はほんとに大崩だった報告をします。
「早く次回の報告がこないかなー」とおもったひとはいるのかな?

「早く次回がこないかなー」とごく一部の方からさいそくがあったので
書きます。焼津を過ぎるとだんだん坂が続きます。そう「大崩海岸」です。
はじめて通ります。バイパスがあるのでだいたいの車はそちらへ回りますが
何台かはこっちへ来ました。歩道はありません。車2台がやっとすれちがえる
ほどの道です。左は崖、右は絶壁の海岸線です。ほんとに大崩しそうな所です。
登りがだいたい終わると静岡市に入りました。そこからは下り坂です。何分かおきに
数台の車が通ります。そのうちトンネルがありました。このトンネルはもう2度と
通りたくありません。歩道もなく車に追い越される時は緊張します。そして音が
こもるのですごい轟音がします。さらに照明のかげんで左の壁に映る自分の影が
自分を追い越していくのには言い知れぬ恐怖みたいなものがありました。
そのトンネルを抜けるといきなり橋でした。変な橋でした。右も左も海でした。
左の海には海岸線がありそのいったいはかつて激しい山崩れがあったようで,
昔の道だったと思われる一部が崩れた瓦礫の中に埋もれていました。いつごろ
崩れたのでしょうか?どなたか知ってたら教えてください。
この崩れ方は瓦礫を取り払って道を修復するよりもその瓦礫を避けて
新しく迂回路を作ったほうが早いと言うことで、このような海に突き出た橋が
できたのでしょう。きっと。そのまま左に東海道線、右に海岸線の間の道をすすみま
す。

 
 まもなく久能海岸沿いのイチゴ畑がある道に出ました。この道沿いに小さな古びたホ
テルがありその1階にサングリアと言うスペイン料理のお店があります。なかなかお
いしいとおもいます。このホテルがほどよく古びていて風情があり、お部屋までそこ
のスペイン料理を運んできてくれて、一泊2食つきで安い。ここを見て
http://www.greenhill-hotel.com/一度行ってみてください。
 さてそろそろお腹がすいてきました。どこで何を食べようか考えましたがこの辺り
の地理にはうといので困りました。「由比まで行って由比名物の桜海老でも食うか。」
「そーだ、静岡県民なら一度はスマル亭で桜海老の天ぷらうどんでもくってみるか
!」(スマル亭は静岡では少し有名なたち食い蕎麦屋に近い店で浜松にはありません
が静岡のほうに何軒かあります)
由比のお店はいつも東名を通る時に、看板が見えるのでそこを目標にしてがんばりま
した。目の前ににんじんを吊るされた馬のように走りました。「遠くの野望より、近くの
飯」(Byひさ)格言が生まれました。人間は少し欲求が満たされていない状態のほうが頭と体が動く
ようです。

さて、次回はそのスマル亭でどうなったか?また国1バイパスにかくされたなぞに翻
弄される
私をご期待ください。
こんにちは
連休で自転車後半戦に行ってきましたので報告が遅れました
続きです。「スマル亭と歩道のなぞ」からです。
 
 スマル亭を目標に国1を進んでいるとやっと由比の看板がありました。ここは海岸のそばで東名、国1、東海道線がほぼ同じところを通っています。まもなくスマル亭の看板がありました。少しずつ近づいてきましたが、、、、、あれっ!、、、、
中学校のときに数学で「ねじれの位置(決して交わることのない2本の線)」なるものを習ったとき「こんなもん生活で実感することなど決してないだろうなー」と思っていましたが「23年目にしてこんな形で体感するとは、、、」そう簡単に言えば、反対車線だったのです。それも強烈な中央分離帯のある。絶望とともに体中の力が抜けてしまいました。しかし歩道もない道で、右側を時速80キロぐらいで走り去っていく自動車の横では休むことも許されず国土交通省を恨み続けました。一キロほど行くと押しボタンの信号がありました。いまさら引き返す気もなく、「こんな信号誰がわたるの?」と思いながら200メートルほどいくと「1000メーター先歩道なくなる」という看板がありました。「そーか、あそこの信号は歩道がなくなるので反対の車線に行けということなんだな」とおもいしぶしぶ引き返して渡りました。えらい待ちました。渡って少し行くと「800メーター先歩道なくなる」とありました。もう、意識もうろうで「どうでもいいや」というかんじでそのまま行きました。
 
 
結局、最初の歩道から旧国1につながる道が伸びていたのでまた信号を渡るはめになってしまいました。日本の道路事情は車優先でした。旧国道にはいるといきなり静かな田舎道です。道幅も狭く古い家が立ち並んでいます。前方に歩道へ乗り上げているトラックがありました。邪魔だなーと思いながら抜くと荷台にはいろんな生活用品が積んでありました。いわゆる「移動コンビニ?」でした。こうゆうのって東北地方の山の中で売ってそうなトラックでしたがまさか我が静岡県にあるとは感動しました。しかしサンドイッチやおにぎりはなさそうなのでそのまま突き進みました。「この物がありふれた日本なのにいつになったら昼飯が食えるのか、一生食えないような錯覚におちいりました」書くの疲れたのでまた今度。
 
歩道に悩まされ、昼飯にもあり付けないじょうたいでしたが、
いくらなんでもこの日本で餓死するわけはないのでやっとコンビニを見つけました
新しいセブンイレブンがありました。ごく普通の店舗でしたが入ってみるとやたら人が多く今日は近くで何か催し物でもあったのか?と思えるほど込んでいました。しかし、その人々には統一性はなく電気工事のおじさんや、主婦や高校生などまったくばらばらでした。しかしみんなお昼の食べ物を買ったいるようでした。「なぜだ?」と思いながらも腹が減ったのでカレーパンと牛乳を買って店前で立ち食いしました。そこへドロップハンドルのいかにもサイクリングしてますと言ういでたちの人が現れ、自転車からさっと降りるとゴミ箱に自転車を立てかけさっそうと店内に入って行きました。その動作に一瞬の無駄もなく一種の芸術性を感じました。案の定一足早く出発した私をいとも簡単に抜き去っていきました。

 
その後すぐに「冨士市と1号線」に分かれる看板があったので地図で確認して1号線の方に進みました。今日の目標である「新幹線の新富士駅」はもう少しです。12時45分に富士川をわたりました。地図ではもう少しで新富士です。ここで少し欲がわいてきました。こんな早くついてしまってはもったいないので次の新幹線の駅である三島まで行ってしまおうか、いやいや、予定どおりここで新幹線に乗って明日も仕事があるので体を休めるべきであるかさんざん迷いましたが結局こんな天気がいい日に行けるだけ行っておいたほうがいいと思い三島まで行くことにしました。三島までは約30キロ、時間にして2時間です。新富士を越えてすぐに国1バイパスからまたもや歩道がなくなりました。仕方なくわき道にそれて方位磁石を頼りに大体の方向を決めて進みました。森の中や海の上でなくとも、方位磁石は役に立ちます。だいたいここまで来ると道の雰囲気でここは旧国1であることがわかるようになりました。道幅や立ち並んでいる家屋のもつ雰囲気で。時々現れる東海道線の駅でここはどこだか確認しながら進みました。そのうち「はら」というえきがありました。
静かなところで人もあまりいませんでした。ここはジグソーパズルではじめて500ピースを完成させたことがある東海道23次の絵になっていた宿場でした。一度訪れてみたい場所でしたが一度来たのでこれでいいです。満足満足。そのうち次第に都会の様相をしてきました。そう「沼津」です。ここから三島までは6キロほどです。この間は田舎道はなくだいたい5階のビルが立ち並ぶ地方都市といった感じです。都会の歩道はスピードが落ちます。自転車は軽車両で車道を走るべきだとか、危ないから歩道を行くべきだとかいろいろ意見がありますが自転車関係のホームページを見ていてもはっきりとした回答がありません。誰か教えてください。さて、次は前半戦最大のピンチをむかえる三島駅です。
お楽しみに。
きとう

(お詫びと訂正)
 
1、東海道53次の内「はら」は14番でした、23番ではありませんでした
2、ブラザー工業株式会社は堀田が発祥の地ではなく隣の伝馬町だそうです。
3、また、メールを多数の方に一度に送信する時ほかの方のアドレスが一緒に見えてしまう不手際がありました
前回より直してあると思いますので失礼しました。直ってなかったらおしえてください。
 
「三島のピンチ」です。
 
 三島に近づくと気になるのは初めて自転車をたたんで新幹線に乗ることです。本当に自転車なんか乗せて大丈夫なのだろうか?と思えてきました。三島駅が近づくにつれ人ごみが激しくなってきました。とある踏切を通過するときちょうど電車が来ました。どこへ行く電車か確かめました。修善寺でした。三島と修善寺を結んでいるみたいです。程なく三島に着きました。そこが新幹線の駅かどうかちょっと心配になって自転車を止めて改札まで確かめに行きました。新幹線の表示があったので「ほっ」として自転車をたたみ始めました。駅のまん前で。すると一人のおじさんが近寄ってきて「その自転車をどうするの?」と聞いてきました。「たたんで新幹線に乗ります」と答えて今日の御前崎からの行程を話し、来週箱根越えをすることもいいました。おじさんも「修善寺までなら自転車で行ったことがあるけど箱根越えはねー」などと会話してる間におじさんも手伝ってくれたので何とか自転車をたたむことができました。おじさんに御礼をしてみどりの窓口を目指しました。

 3時28分にこだまが来るようなので指定席の20番を取ってほしいと伝えました。下りの20番ならば背もたれの後ろに自転車が置けるので最適です。しかし駅員さんは「今日混んでいるのでまず席を確保します」といって急いで席を取ってくれました。そして希望の席があるか調べてくれたので何とか席を確保できました。3時10分から切符を買い始めたけどかなり時間がたってしまいました。最後に「自転車は手荷物の料金がかかりますので改札で払ってください」といってました。自転車やさんも同じことを言ってましたが「1999年からJRは自転車の規格は無料になりました」と教えてあげました。そんなことをしているうちに3時22分になってしまいました。あわてて改札に行きましたが「新幹線の改札はその階段を下りて通路をまーっすぐ行って突き当たりを左に行ったところです」といわれあわてて階段を下りました。そのときこだまの到着するアナウンスがして、ゴトゴト音がしてきました。50メートルほどの通路でしたがこんなに長く険しく感じたことがないほどつらかったです。
さらに気になったのは突き当りを左に曲がったらすぐに改札があるのか、また何メートルか歩かなければならないのか?もう新幹線は完全にホームに入ってきたようです。やばいです。
 
 
(後日)
昨日は、犯罪者が犯行現場に戻ってくるように大崩海岸までの道のりを自動車でたどってみました。あの大崩海岸のトンネルはなぜ怖かったのか検証してみました。その結果トンネルの道幅は大型車通行禁止になっているように普通車でもぎりぎりすれ違えるほどでした。そしてトンネルの前後は下り坂のため自然にスピードが出るようになっていました。そんな歩道のないところを自転車で走っているとき左側を思いっきりスピードを出されて車に抜かれるとかなり怖いです。
 
また三島の駅の連絡通路が長すぎて新幹線に乗り遅れた人がもう一人いました。そのおかげで桜海老のかぎあげそばにありつけたそうです。乗り遅れたおかげで私が食べ損ねた桜海老のかき揚げそばが食べれたのはラッキーです。三島は乗り降りしたことがありませんという人が私の周りには多いみたいです。三島大社と三島駅の連絡通路の長さと、桜海老のかきあげそばを食べに三島へ行くのもひとつの楽しみでしょう。
 
 
 (続き)
 新幹線の改札まで死に物狂いで走りましたがとてもまともに走れる状態ではありませんでした。やっぱり、自転車と自分の体は軽いにかぎります。ダイエット、ダイエット。
突き当りを曲がるとさらに30メートルほど先に改札がありました。自動改札機を過ぎると階段がありました。エスカレーターもありましたがこの荷物ではじゃまになるので、階段を上がりました。上がったといっても幼稚園児のスピードです。ホームに着くとちょうど新幹線が目の前を通過して止まりました。9号車のところに階段の出口があったので指定を取った12号車まで戻らなくてはなりません。普通ならなんてことはないですが13,14キロある自転車とかばんを持っていると大変です。さらに大きな自転車が人にでもあたったら大変です。以前若い人が老人になる体験をする時、体中におもりをつけて視野が狭くなるめがねをつけて、耳栓をしていましたが、まさにその状態です。老人が前をゆっくり歩いていたら自分もそれに合わせてゆっくり歩いてあげたいものです。時間と心のゆとりが必要です。しかし今はゆとり何ぞありません。人と人の間をゆっくりと進まなければなりません。12号車の先頭に来たところでリミットでしたのであわてて乗りました。しかし指定席は20番なので通路を一番奥まで歩かなくてはなりませんでした。狭い通路を自転車かかえて歩くのは最悪でした。後ろから人はついてくるし、前から来る売り子さんはワゴンをデッキに戻して待っていなくてはならないし最悪でした。しかし大半の人は通路を譲ってくれ文句ひとついわれませんでした。ワゴン販売の人も私が席に着くまで待っていてくれました。世の中良い人ばかりでしたそのワゴン販売で早速ジュースを買って一気に飲みました。うまかったです。約一時間で浜松に着きます。自転車を3人がけの席の後ろに入れましたがすこしははみ出しました。今度はハンドルもはずすほうが良いと思いました。

 浜松では順調に組み立てて家まで帰りました。家族はさぞかし喜んで出迎えてくれると思いましたが、部屋に入っても静かでみんなでホラー映画を見ているようでした。誰一人も出迎えてもくれないし声もかけてくれませんでしたので、一人寂しく風呂に入りました。これで前編終わりです。次回は、来週もう1度三島まで行っていよいよ箱根越えです。
 
 いよいよ三島からの後半戦です。朝6時47分のこだまで三島にむかいました。今度はハンドルもはずしてみましたがペダルはめんどくさかったのでそのままにしました。しかし歩くときに足に当たって歩きづらかったです。やっぱりペダルははずすべきです。朝早くから浜松駅の立ち食いそば屋はやっていたので、そこで天ぷらそばを食べて出発です。さすがに朝早いので新幹線はすいていました。予定どうり三島に到着してこんどは新幹線側の改札から出ました。自転車を組み立ててまずは三島大社へむかいました。程なく着きました。こじんまりしていましたが由緒正しき神社といった感じでした。朝の8時でしたが結婚式に出る新郎らしき人が紋付はかまで境内の玉砂利の上を歩いていました。神に仕える「しか」もいました。デジカメで撮ろうとしましたがデジカメの調子が悪くうまくいきませんでした。何枚か撮った写真も結局見れなくなってしまいました。したがって今回の旅の写真は一枚もありません。自転車で行った証拠写真がなくなったということです。そうそうに三島大社見学を終えて、再び走り始めました。1キロほど行くとすでにそこから坂道が始まりました。いよいよ箱根越えです。最初は車の通りも激しく、歩道も石畳で整備してありました。さすかに石畳は自転車で走るのにはむいていませんでした。次第に民家がなくなり畑が多くなってきました。振り向くと沼津、三島の町が見えその向に駿河灘が見えました。天気は曇りでしたがまずまずの展望でした。時々振り向きながら進んでいくと、どうやら「ネズミ捕り」の計測をしているおまわりさんが隠れるようにいすに座って仕事をしていました。歩道にいろいろなケーブルが散らかっていたので私が通ろうとすると一生懸命片付けてくれました。

 そういえば坂を上り始めてから一時間ほどたちますが誰ともすれ違ったりしていませんでした。はじめて人に会いました。ネズミ捕りの最中に「ご苦労様です」と挨拶するのもなんだったので軽く会釈してすれ違いました。しかしそのネズミ捕りがすんだところではスポーツカーに乗った若者がブンブン飛ばしていました。いたるところにタイヤのスリップ痕があり花が手向けてあったのでたぶん多くの人が亡くなったのだと思います。地図上での中間地点に来ました。やはり歩いていたり自転車に乗った人にはひとりも会いませんでした。天気も少し暗くなってきて、気温も下がってきました。坂が始まって2時間ほどたちました。
 
 箱根の上り坂が始まって2時間経過。天候も曇りになり少し肌寒くなってきました。ここまで来ると200メートル進んで休憩して200メートル進む繰り返しです。もう何回休んだことでしょう。やっと箱根峠の道の駅のかんばんが見えてきました。2キロ先だそうです。この調子だと1時間ぐらいかかりそうです。平地ならば10分もかかりません。休憩は座るところがないので地べたに座って休んでいました。気温が低いのに冷たいものばかり飲んでいたのでおなかか痛くなりそうでした。

 一時間ほどで道の駅に着きました。寒いです。エコトイレがありました。エコトイレの説明の看板がありましたが寒いのと先を急ぐ気持ちが大きくて見ずに過ぎてしまいました。今度行ったらきちっと読んでみます。ここに箱根峠の標高が書いてありました。デジカメで撮っておきましたが今はわかりません。確か800数十メートルでした。ここからは下り坂が続いて「もう小田原までは楽勝」といった感じでした。すぐに芦ノ湖か見えてきました。絶景でした。のぼりで苦労した分今は幸せでした。まさに「人生苦あれば楽あり」でしたが、、、楽の後にまた苦があるとはこの時点では知る由もありませんでした。地球上には「重力があったんだ」と、つくずく感じられるほど坂道を快適に下りました。芦ノ湖に到着しました。8年ほど前に社員旅行で一度来たことがありましたが記憶とあまり一致しませんでした。おなかがすいたのでインターネットで調べておいた芦ノ湖名物のわかさぎのフライを食べることにしました。何軒かお店があって迷いましたが人が入っているところにしました。特別美味しいわけではありませんが話しの種にはなるものでした。このレストランに箱根の関所のポスターが張ってあったので次はそこへ行くことにしました。前回来たときは箱根の関所へは立ち寄りませんでした。入り口でサムライの格好をした切符売りの人がいました。関所の見学は2,3分で終わるぐらいの小さなところでしたが300円もかかりました。さすがにこれでは怒られるだろうということで少し離れたところに資料館がありました。その資料館のそばに芦ノ湖が一望できる静かな公園がありました。難しい漢字の公園だったので覚えていません。若者や子供、お年寄りには向いていません。遊具はないし坂がきついです。ナイスミドルにはうってつけです。将来あなたもその公園に行ったとき「すばらしい公園!」と思ったら、そう「ナイスな中年」の仲間入りです。おめでとう。続きはまた今度。


ある方からこんなメールをいただきました
 
「いつも送ってくれてありがとうございます。小学生の頃(確か4年生)に十返舎一九の東海道中膝栗毛を胸をときめかせながら読んだ感動と同じものを感じながらよませてもらっています。これからも頑張ってください。」
 
こんな期待をしていただいているのでいしょうけんめい書こうと思いましたが、小学生にして東海道中膝栗毛に胸ときめかせていたとは、、、、、
 
さて、芦ノ湖の公園を見学した後お土産やさんで子供たちに頼まれたキーホルダーを探しました。リクエストとして「かっこいい剣とダイヤモンドのようなきれいな石がついたやつ」と頼まれていたので探してみました。なかなか期待にそうものがありませんでしたがいちおう剣のついたものがあったので2つほど買ってみました。彼らはきっと「魔法の剣」のようなかっいい剣を想像していると思いますが、買ったのは箱根と書いてある通行手形の下に2本の日本刀がクロスしているものでした。地味でした、、、、がっかりするだろうな、きっと。箱根に来たからには寄木細工のお土産も買いたくなって2000円もする寄木細工の貯金箱も買ってしまいました。誰のものというわけではありませんが一種の衝動買いでした。それもソフトボールほどの大きさで「自転車で来たのにどーやってもってくの?」という感じでした。そろそろ、小田原へ向けて下ろうと思っていると上り坂でした。たまたま登りなんだろうと思って次のカーブを曲がってみると「おや?」また登り。また次のカーブを曲がってみると、といった感じでここから地獄がはじまりました。
ではまた、、、きとう

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箱根のお土産